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​いのちいろ
Life - color
 前までは、家族が身近で生きていてくれることはあたりまえの事だと思っていた。

 父方の祖父はよく笑う快活な人で、幼い時から会いに行くたび、祖母と共に私のことをとても可愛がってくれていた。歌や絵をプレゼントしたり、書道で賞を取ると『すごいな〜!』と満面の笑みで誉めてくれることがすごく嬉しかった。
大きな畑を趣味で耕していて、野菜の収穫を手伝わせてもらったこともある。とにかくどこまでも元
気で、まるで太陽のような人だった。



 しかし中学3年の秋、祖父は毎日使う家の階段で転んで頭を打ち、認知症を患った。
お見舞いで久しぶりに会った祖父は、心ここに在らずといった様子で、私のことも覚えていなかった。
誰か分からないと見つめられた、あの時の衝撃がいまだに頭から離れない。その後も会いに通ったが、変わらない優しい目はもう、私を写すことはなかった。



 高校2年の冬の朝、祖父の容体が急変したと聞いた。
不安を抱えながら学校で授業を受けた。休み時間に逐一連絡を見て、祖父の容態を確認していた。
私が向かうまで生きていてほしい。そう願っていたが、昼過ぎに祖父は天へと旅立った。夕方、冷たくなった祖父と対面した時の喪失感は、今まで感じたことのない気持ちだった。

 若い頃新聞社で働いていた祖父は、大きな葬儀場でたくさんの人に囲まれていた。


 やっぱり太陽みたいな人だったんだ。その時そう確信した。


 葬儀終わり、エレベーターに家族で棺を囲んで乗った時、大きな声で泣いた。
『もっとたくさん話せていたら』、『ちゃんと感謝を伝えられていたら』。
本当に後悔した。

 今でも祖父母の家に行き、笑顔の遺影を見ると、心が締め付けられる思いになる。
大の猫好きの祖父は、祖母や父の名前すら曖昧でも、愛猫の名前だけは決して忘れなかった。その猫と並んで仏壇に近況報告をするのが、今の私の習慣だ。


 あたりまえの日々はあたりまえでは無い。
身近な人とたくさん話をして、感謝を伝えて、笑顔で過ごすことの大切さ。
祖父はそんな『あたりまえ』を気づかせてくれた。


いのちいろは後悔と、学びのいろ。

【いろに含まれる成分】
祖父、葬儀、後悔
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